支配からの脱却

偽覚者伊勢菊理に騙された元弟子のブログ

モラハラというもの

今日はイライラ、怒りの感情がわいてきた。

以前見つけたモラハラ被害者の方が書かれたブログをもう一度読んでみた。

驚いたのが、その方のモラハラ夫にされたというモラハラ行為が、師匠と呼んでいたヤツにされたこととほぼ同じだった。マインドコントロールの本(読める精神状態ではなかったため返却した)にもマインドコントロールをする人の特徴が書いてあり、びっくりするほと、ほぼ当てはまっていた。

モラハラ加害者はパターンが決まっているようだ。対等な関係ではなく上下関係を強要し(私の場合は師匠と弟子)世間体を気にし、自分の評価を下げないように平気で嘘をつく(社長である自分はちゃんとやっている、従業員である私の悪口を言う)

モラハラ加害者は相手をよく見ていて思い通りに動かせる相手を探している、と。

確かにそうだった。
ヤツは口がうまかった。人の心を読んで惹きつけるのがうまかった。

何か怒らせるようなことを言ったのか突然無視されることもあった。ご飯を食べるときも正面を向かないように、わざと斜めを向いて視線をあわせないようにしていた。私はどうすればよいのかがわからなかった。

あんたが足をひっぱる、私が周りからすごいと思われないのはあんたが私を尊敬する態度をとっていないから。
あんたを教育してやってる、ということは何度も言われた。
育て直しだということも言われていた。

急に怒鳴ったり叱られたり、手が出ることも何度もあったが、これは自分がやっていない、という(スピに興味のない人はこいつ何言ってるんだ頭おかしいで終わる)
私も頭狂ってるのだろうかと、何度も思った。しかし本人は、自分は悟っていて「我」がない、という。自分でやっていない、と神のようなわからないものの責任にしていた。私の怒りは神の怒り、だと。それが一層、弟子として何もできない自分なのだと追い打ちをかけた。(カルトにはまってしまう信者と同じ)

突発的な怒りに関しては自己愛性人格障害だったのではないか?と思う。

私がモラハラを受けていたという事実に気づいたとき、ずるいなと思った。共通の知人に話をしただけのことが、「相談」と決めつけられ、周りに一切相談するなと言われたことまで守ってしまった。これは私がモラハラの事実を周りに話して自分の立場が危うくならないための対策だったのだとわかった。

最初手伝ってほしい、という話が従業員として働くことになっていた。しかも無給で。ヤツは私を食べさせてやらなければならない、と言っていたのにうまくいかないのは私が働かないせいだと私のせいにされた。周りは二人は仲良しだというふうに見えていたみたいだ。(中にはヤツがきつい、私がかわいそうだと感じている人もいた…)


この参考にしていたブログに、相手を知ろうとすることが大事だと書いてあった。


私は相手がどういう人物なのか、知ろうとしていなかったのだと気づいた。
それは私を助けてくれた人にも言われた。


相手を知ろうとせず安易に信用してしまった。契約も何もない状態で、年齢なども隠され、今思い返せばおかしいと思うようなことはたくさんあったのに、調べたり自分の主張を伝えて相手を追求しようとしなかった。


ブログはモラハラ被害にあったあとの身体症状についても詳しく書いてくれていた。
私もここのところ過敏というほど過敏で、少しの音が気になったり、スルーできることができなかったり、少しのことでイライラしたり、自分でもおかしいなと思える状態だ。
死にかけるほど追い詰められていたから仕方のないことだが、ストレスが脳に及ぼす影響はやはり大きいらしい。
相当なダメージを受けてるように思う。

それでも、急に悲しくて泣いてしまったり動悸がしたり、という症状は落ち着いてきた。


悪いのはモラハラ加害者であって自分ではなかった、でも自分もまた相手の都合のいいように使われ、それを良しとしてしまった。

モラハラと気づけたのはヤツがいなくなったからだった。生きてほしいと懸命に看病してしまったヤツは人を利用することしか考えてなかった。自分はとても賢くてとても優しいと言っていたがその優しさは嘘だった。

何度も何度も繰り返し嫌な思い出が出てくるけれど、これは回復するには大事なことらしい。抑えつけずに、出していこうと思う。

とてもいいブログにであえた。経験してるからこそ書けるブログだ。また紹介できればと思う。こういうとき自分は一人では生きていないと実感する。

本当にありがたい。

まだ傷は深い。少しずつ傷を癒やして気持ちの整理をつけていきたい。

支配

何かをやれば自分は変われると思いがちだが、何かをやったところで何も変わりはしない。

あくまでそれはきっかけにすぎない。

ただのツール。

自分を変えてくれるものだと期待して飛びついてしまうけど、自分の意識が変わらない限りただひたすら消費するだけのもので終わってしまう。


誰かにすがりたくなるときもある。

ただそれを選択するときに正しい判断ができているかどうか。

すぐ信用してしまうのはあまりに危険だ。

私がそうだった。

衝動的に動いてしまった。


苦しいときは視野が狭くなる。

判断能力も鈍い。


特にスピリチュアルの面は誰でもカウンセラーを名乗れるし、 心地いいことを言われると本当にそうだと思いこんでしまう。

私はインディゴなんたらとか、守護霊がどうとか、あまり好きではなかった。

でも「悟り」という言葉にひっかかってしまった。

命まで落としかけた。
集団ではなかったが、ヤツが死んでから個人カルトが存在することを知った。

個人カルトだとは思っていなかったし本人も自分は悟っているのだということを信じて疑わなかった。
悟って本を書いてる人にも会っているがあなたは悟ってないですよ、とも言われなかった。

悟ったか悟ってないか、なんか、本当のところは誰にもわからない。

わからないのに、私はこの人を「ホンモノ」だと思ってしまった。じわじわと、わからないように、まわりを固めて、師弟関係を強要し、コントロールしやすい状況を作っていた。

奴隷の出来上がりである。

コイツに支配されていった私は選択肢を奪われた。私は逃げ場を失っていた。大金を払い事業の手伝いをしたのに軌道にのらない。お金もなかった。どこにも行く場所がなかった。

何回か実家に帰ろうと飛び出したことがあるのに帰れなかった。ヤツの脅しと、魂の親子だと言われたことを信じてしまいヤツを親以上だと思い込むようになっていた。

ヤツにハグされたり一緒の布団で寝たこともある。
養女にしたい、とまで言われていた。

中途半端な愛情(ホンモノかニセモノかはわからない)のせいで恨みきれなかった。

愛情を注いでると言いながら、毒親と全く同じ。

結局支配し、支配される関係になっていた。

愛憎がどれほどに苦しいものか。
どれほどに傷つけられるものか。

怒りがどんどんと湧き上がり、ぶつける場所もなく、毎日通勤の車の中で、声が枯れるまで泣き叫び続けた。その前に勤務していたところでセクハラで辞めるしかなくなったこともあり、絶望的になっていた。

最期まで懸命に看取ったヤツは多額の借金と中途半端な仕事を残しただけだった。
愛情なんかなかった。


もう支配される人生は終わりだ。
何もかもを失ったのだ。これ以上失うものはない。

生きてる限りやり直しはできる。

何度でもやり直せばいい。
ただ、もう二度と人に騙されないことを誓う。

人に支配されない、自分の人生を生きていく。

何もしない

何もしない をやってみたが、なかなか難しいものだ。

この2日間、試しにやってみた。ただ横になるだけ。

ご飯、トイレ、入浴、洗濯はOK。


森田療法の絶対臥褥というものを真似ようとしたのだが、 娯楽禁止で1週間籠もることは入院でもしない限り不可能なので、あまりに完璧にやろうとせず何もせず横になろう、というところだけはやってみた。

何かしら動いてしまう自分にとっては、何もしない、と決めることは非常に良かったと思う。

何もしなくて良いのだ。


ただ、落ち着かなくてご飯でも食べようか、珈琲淹れようか、あ、あの人にメッセージしとかないと…と完全に休めたとは言えない結果にはなった。これはいつもの自分の癖だ。

いいお天気だから出かけよう、買い物行こう、と買い物に行ってもクタクタになって帰ってくる。
家事も中途半端。
片付けにとりかかっても終わらない。

料理すら、楽しいと思えない。


ああ、そうかぁ、今の自分は何もできないんだ。


何もしたくないし、できない。
でも生きていくためにはやらなければならない。


楽しいからやろう、ではなくて、仕方なくしている部分があった。

今療養中なのだから、できないのが当たり前なんだ…したくもなくなるよ、ハラスメントで傷ついて全エネルギー注いでクタクタになってる状態なんだから。


その事実は、とても悲しい。

あー、何もできない自分。

楽しめない自分‥



散らかった部屋にいるのは嫌だけど、気力がない、だから片付けなければ、と焦る気持ちがないだけまだマシなほうだ。できないことはがんばろうとしても、できない。


明日は、買い物にいき、片付けもする。

行きたくないのだが、洗剤をきらしてしまったのと、2日間のひきこもりのために大量に作ったスープも飽きてしまった。


もう少ししたら、また何をしないにチャレンジしようと思う。本当に何もしなくなったら自分の感情と対峙するしかなくなる。今はこれしか乗り越えられそうな方法が見つからない。

その感情を私自身がわかってあげないといけなかった。苦しいから見たくなくて逃げていた。これから自分と対話していこうと思う。

思い出したので書いておく

「あんたのせいでがんになった」

死んだヤツに言われたセリフ。


エネルギーヴァンパイアだと言われたこともある。

毎回運転は私だった、ヤツは助手席に座っていて、私の負のエネルギーがあたったからがんができたのだと言われた。ヤツは右胸に腫瘍ができていたのだ。

私は返す言葉がなかった。

私のせいですすみません、と謝ってしまった。

自分が悪いと思うなら考えて行動せよ、と言われた。


病院に一切いこうとしなかったため、ヤツの希望を叶えるために動き回った。

座椅子を買ってきてといわれたら、買いに行く。

呼吸が苦しいため、横になれない。
車でドライブしていると、座った姿勢でいられるためにまだ楽だったようで連れて行けと言われたらドライブするしかなかった。

海につれていくよう言われ、水着も買って、介助しながら海に浸かった。私は日焼けで皮膚をやけどしてしまった。

健康食品を扱っていたため、それでなんとかよくしようとしていた。安いものではなかったため、売上が全部その購入に流れていく。

民間療法にも頼った。

誰にも頼れない。私は気力体力ともに疲れ果てていた。

私はあくまで他人だ。師匠と弟子で、家族以上、魂の親子だとヤツはいったが、他人だ。
自分が倒れたら私を巻き込むなどという考えは一切なかったようた。
私はこのままだと共倒れになると思った。

知人が心配してお願いだから病院にいって、といってくれやっと病院にいった。はいにたまった水を抜いてもらった。そのあと入院になったが家族には連絡しなかった。


家族にも一緒に暮らしているという話はヤツはしていなかった。


ヤツは死をおそれていた。自分が死ぬはずはない、と思っていたのだろう。
これまで、いきあたりばったりで、私の人生のことは全く考えてはくれていなかったのだと思った。

ヤツが死にかけてようやくわかった。私はただ利用されていただけなのではないか?と。

なぜ、師に尽くせ、といい、お金も身も捧げ尽くした私に、がんはあんたのせい、と言われなければならなかったのか。

私は兄弟に言われたことを思い出した。

父ががんでなくなったとき、あんたが代わりにがんで死ねばよかったのにと言われとても傷ついていた。

全く同じだった…。



そうか、私ががんになって死ねばよかったんだ。


師とよばせたヤツに、私は、私の命をあげます、といった。

悟ったといっていたのに、こんなにも生に執着するものなのだろうか?
ヤツは自分は神に動かされているのだと本気で思っていた。

神に動かされてるとなると、自分の責任にはならない。金もあんたのものではない、神のものだ、と言い張っていた。

都合がよすぎる。

私は公共料金や税金が払えなくなっていた。ヤツは自分は社長で私は従業員としていた。周りにそう言っていた。だから前に出るな、と常に言われていた。私が目立つと怒られた。前に出ようと思って出たことは一度もない。

お金をたくさん使い運用もうまくできなかった、私は給料をもらって働いていたわけではない。それでもあんたが働かない、あんたが足を引っ張って仕事の邪魔をすると言われた。あんたは贅沢、金食い虫だと言われた。

全部私のせい。


ヤツの遺言は 「お金を返しといて」「あんたはようやってくれた。あんたは何も悪くない」

だった。

入院中も、私の悪口を周りに話していたことを知った。

病院も家族もこいつも、全部私になすりつける。

こんなひどい状況でも借金返済のために働きにいっていた。
ヤツは看護師の文句ばかりいう。ただのわがままにしかみえなかった。結局私が介助することが多かった。
病人だからワガママになるのも仕方のないことか…と思うようにした。

最後の数カ月は緩和病棟にいたため毎日寝泊まりしヤツを看ていた。

父を看取っていたからできたことだ、がん末期の他人を親以上に看ることは、ふつうの神経ならできないと思う、私は帰る場所もなければ、反抗することもできず、ヤツに従うしかなかった。

ひどいことをされても師匠だと思っていた、弟子だからやらなければならないと思っていた。全て間違いだった。


家族にはただ感謝されただけで終わった、私の事情なんておかまいなく、家の都合で片付けにもつきあわされた。
借金を知っても、これは私関係ないからそちらで話し合ってといわれた。

長きにわたってのヤツのモラハラにあったあとに会社で上司のセクハラにあい、さらにボロボロになった。
もう死んでしまいたかった。


個人的な恨みのような書き方だが、あまりによくわからない出来事が続きひどい仕打ちもうけていたので今はこういう書き方しかできない。
ヤツのやっていたことは、個人カルトだ。ヤツは悟りをエサに、私を弟子として育ててやってるんだと師匠ぶっていただけだった。

年齢も隠していたが、そこまで隠す意味もわからなかった。バレたら舐められる、と言うことだったが
なるほど、それは舐められるよなと思った。

57歳の無職で借金持ちのただのおばちゃんだったからだ。
何も成し遂げることができなかった。人の金を神の仕事だとまきあげただけだった。人間は卒業した、悟ってない人たちは幼稚園児だといっていた。卒業したのに、生に執着する。死ぬことを受け入れようとせず、死の恐怖と向き合うこともせず、せっせと高額な健康食品をとり続ける。看護師が薬をすすめると、殺されると何人かにメールしていた。
エゴ丸出しだった。

ヤツの願いは結婚してお金儲けて幸せになりたいことだった。
これからも生きて自分が仕事をし続けると思い込んでいた。

私は何を得たのか??自分の病気ですらあんたのせい、と責められていたのに。
ただ尽くせ、と言われたことを忠実に実行してしまったただの奴隷だった。

ヤツを見捨てればよかったのだ。
ヤツは自分はすごいのだと周りに言っていた。周りの人たちがヤツのことをどう思っていたかはわからない。
見捨てたらきっと復讐したに違いない。
周りに酷いヤツだと何を言われようが、どう思われようが無視すればよかったんだ。

ヤツの脅迫にやられないくらいの強い心をもてばよかったんだ。

食生活

ヤツの食事は乱れていた。

まず毎日ケーキを食べに行く。
ミ○ドでドーナツ5個以上食べる。
食べ放題で食べきれないほどの量、とにかくいっぱいお皿に盛り、テーブルに並べてから食べる。


金が無いといいながら、安いケーキではなく地元どそこそこ有名な高いところ、ケーキセットで800円はするところに通っていた。

私はバカなことに、コーヒーや紅茶を送ったことがある。少しでも出費が減るように。ヤツは喜んでいた、おかげで家でお茶ができると。


私は毎日そんな食生活をしていることを悟りによるものかと思っていた。石油も飲めるほどだと言っていたからだ。


私が引っ越してからは金がないからと、ガ○トにマ○ク。引っ越す前からずっとこういう食事だったらしいことがわかった。

私が料理すると言いながら作らないから外出するはめになるのだと叱られた。

ヤツの家はボロボロでキッチンは機能していなかった。

ゴキブリはもちろん出る。床もひどいもので、シンクなんかはいつから置いてあるのかわからない食器がそのままだった。
洗顔などもここでしてるらしい…。
米を炊こうとしたのと、近所の人からもらった野菜が置いてあり自炊しようとしてある形跡はあった。結局野菜は腐らせていた。

不衛生極まりないのだが、最初は流石に家にいれようとはしなかった。
トイレも使わせてもらえないため、コンビニへいっていた。一緒にやっていた仕事は離れを借りていた。


ヤツの誘導によりヤツの家から近いアパートを借りていたため、最初私はそこに住んでいたのだが、ヤツのご飯を用意しなければならなかった。
私に家から送られてきたものも、平気で食べる。何か違和感を感じた。

料理の仕方にもケチをつけてきた。

少し切り方が悪かったりすれば、こんなもん食わせんのか!!!と怒りハシでつまんだ野菜を床に放り投げる

ごはんのかたいところがあれば、怒る

切り方に文句はいうが、ヤツは何もしない

買い物すら私がいって、ヤツのお腹に合わせてご飯を作らなければならない

買い物ができていないと怒られる

文句をいわれすぎて腹が立つと、怒りの感情で作ったご飯はいらない、と言われる。

作ったときに限って、ご飯食べに行こうと言われることも度々あった。


外食は、当初渡されたお金で、経費として出していると、そこからお金出すのか、と叱られた。
そのためのお金だと思っていたのだ。


長いメールがきて、食費は別々にしましょう、とあった。しかし計算したあとヤツからお金はもらっていない。
別々にしようと言われたからそうしました、といえばよかったのに反論できなかった。
それからは自分が全て負担するようになった。

ヤツは高級スイーツを毎日食べぶくぶく太っていた。つきあわされてお腹を壊したことがあった。こんな食生活をしてるヤツが自然のものを商売にしていた。しかも、神のもの、として。


ここから抜け出せなかったのは師匠と弟子、という立場だったのもある。
私は「弟子」として、これが「修行」なのだと思いこんでしまった。 反論もしてはいけない、と思ってしまった。


ご飯は最後までヤツが作ることはなかった。
一度くらいだろうか。

弟子というものが一体何なのかわからなかった。周りのお世話をすることが弟子…
ヤツにお前は弟子だ、と言われてなってしまった弟子。全ては仕事のためだった…。しかしその仕事もうまくいったかといえばそうでもなかった。

ご飯の盛り方なども言われたな。
お前はケチだ、と。

茶をぶっかけられたこともある。これは「私」がやっていることだ、と言われた。
黙るしかなかった。

全部反論できたことだ。反論できず言いなりになってしまった。これでは奴隷と変わらない。
それでも我慢してしまった、本当に馬鹿だった。

楽しいこともあったんだ、それが余計憎みきれない原因にもなっている。

ここはまだただの吐き出しになっているだけのブログだ。ヤツと対峙するにはまだまだだ…。

雨の日に

何もしたくない、という日。

頭が痛くて体調もあまりよくない。

食材を買いにいかなければならないのだが、それすらもやる気が起きない。


雨の日は嫌いじゃない。
しとしとと降り続ける雨はまるで私の心がそのまま反映されているかのよう。

何もせずに寝ていようか。


何もかもをやり尽くした私は全てを捨ててしまいたくなった。
身の回りのもの全て。


全部いらない。全部捨てたい。

大半は捨ててきたが、引っ越しの際に持ち込んだものもある。

自分が気に入って買ったもの以外のものもいくつかあった。

こちらが望んでいないのに親が私のためにと勝手に買ってきたものまである。

下着や靴下までも、、、結婚適齢期をとうに越えた、いい大人なんだから、といわれる年齢だ。現実をみていないし、私を見ようとしていない。ただの押し付けを「親はみんなそんなものだ」と片付けてしまう。

母の中の私はいくつでとまっているのか。


ヤツに関するものも大方捨てた。仕事の引き継ぎさえもないのに、義務感で引き継いでしまった。
やってきたことを一旦やめ、お客さんとも距離を置いた。


これから私は新しいことを始める。

ようやく新しい人生を始められる。

まだ問題は山積みだ。病院へも行けなければならない。
死にかけるほどのことを経験して、ようやく少し余裕ができてきた。まだヤツとのこと、親とのこと、対峙できるほどの気力体力がない。思っている以上に傷が深かった。
こんなにもボロボロになってしまった自分が悲しかった。尽くせ、と言われたとおり、尽くしてしまった。

今はまだ休むとき。生きる気力さえも正直まだない。生きることがまだつらい。それでもただ負けたくない気持ちで生きている。

きつかったことを思い出しては 体に症状が出るため記事がなかなか書けない。


私が全て悪かったのだろうか


同じことをグチグチ書くのも呆れられるだけ

吐き出し口がここにしかない

でも記事が書けない



実家の愛犬が死んだ

悲しくて仕方がない

でも家には帰れない


帰る気力がない


家には申し訳ないという気持ちがある

変なやつにひっかかって 自分をボロボロにしてしまった

疲れ果てた

ただ泣くことしかできない

あわれだ