支配からの脱却

偽覚者伊勢菊理に騙された元弟子のブログ

自分の人生に責任をもつ

このブログが残っていたことに今更気づいた。アカウントを削除したものと思っていた。

こちらの更新は全くなかったが、アドレスを変更し記事を書き続けている。

新しいブログは結構前向きなことを書いていて、重い話を温度差があるのでサブブログを作ってわけようとしていたところだった。

 

せっかくなので、こちらを活用していこうと思う。

 

 

現在うつの症状は大分落ち着き、家事ができるまでに回復している。

就労移行支援を利用しようとしているところだ。

 

発達障碍がある限り、一般の人と同じように生活をしたり働くことはまず無理だという結論に至った。

合わせようとどんなに努力したところでできないことはできないことがわかった。

 

自覚があまりなかったが、私の発達障碍の具合は結構ひどいらしい・・・。

しかし、知能指数はごく平均のため、ちぐはぐなことが起こる。できることとできないことの差が激しい。

 

コミュニケーション能力が乏しく、自分の思っていることを言語化することが非常に難しいのでモヤモヤを抱えやすい。

それがストレスになり、感情が出て振り回されることがある。

 

毒親育ちのせいで、愛情欲求が激しく、親ではなく他人に認めてもらおうとあれこれしてしまう。愛情をしっかりもらっている人からするとわからない感覚だと思う。

自分を認めて欲しい、自分に価値が欲しい。そして優しくしてくれる人についていってしまう。

これが自分が騙されたことの結果。自分というものが確立していないから、中身はからっぽであり人の影響を受けて流されてしまったりする。

 

悪からすれば恰好の餌食だ。どんなに騙されないぞ、と誓ったところで現実はこういうものなのだ。

 

騙されない、流されないようにするには自分を確立する以外にない。

 

自分の人生は自分のものだという自覚をもつこと。そして責任を自分で負うこと。

私が何もかも失ったのは、私自身に問題がある。

もちろん騙したり平気で嘘をつくような人は人間の心を持っていない最低な人たちだけれども、そういう人たちは思っている以上にそこらへんにいる。

しかも嘘を通そうとなんでも強引に押し通してしまうため、やったもん勝ちで終わってしまう。

善良な人が理不尽な思いをする。それが許される社会になってしまっている。

 

弱肉強食で、どうがんばっても悪のほうが強い。

 

だからこそ気を付けなければならないし、そういう人たちがいないところに自分が行く以外にはない。話せばわかるという次元ではない。相手を人と思ってはいけない。

 

私はこのことに気づけただけまだよかった。

 

今人生のやり直しをしているが、自分の人生を取り戻すには10年はかかると思っている。

人はそう簡単には変われない。

他人のライフハックを真似て同じようにできるかといえば難しいと思う。

 

自分と向き合うということ以外、道はない。

全て失っていなければここまではこられなかっただろう。その経験を活かすか、ただの失敗した過去にしてしまうのかは私次第だ。

 

気長にコツコツと向き合っていこうと思う。