支配からの脱却

偽覚者伊勢菊理に騙された元弟子のブログ

支配

何かをやれば自分は変われると思いがちだが、何かをやったところで何も変わりはしない。

あくまでそれはきっかけにすぎない。

ただのツール。

自分を変えてくれるものだと期待して飛びついてしまうけど、自分の意識が変わらない限りただひたすら消費するだけのもので終わってしまう。


誰かにすがりたくなるときもある。

ただそれを選択するときに正しい判断ができているかどうか。

すぐ信用してしまうのはあまりに危険だ。

私がそうだった。

衝動的に動いてしまった。


苦しいときは視野が狭くなる。

判断能力も鈍い。


特にスピリチュアルの面は誰でもカウンセラーを名乗れるし、 心地いいことを言われると本当にそうだと思いこんでしまう。

私はインディゴなんたらとか、守護霊がどうとか、あまり好きではなかった。

でも「悟り」という言葉にひっかかってしまった。

命まで落としかけた。
集団ではなかったが、ヤツが死んでから個人カルトが存在することを知った。

個人カルトだとは思っていなかったし本人も自分は悟っているのだということを信じて疑わなかった。
悟って本を書いてる人にも会っているがあなたは悟ってないですよ、とも言われなかった。

悟ったか悟ってないか、なんか、本当のところは誰にもわからない。

わからないのに、私はこの人を「ホンモノ」だと思ってしまった。じわじわと、わからないように、まわりを固めて、師弟関係を強要し、コントロールしやすい状況を作っていた。

奴隷の出来上がりである。

コイツに支配されていった私は選択肢を奪われた。私は逃げ場を失っていた。大金を払い事業の手伝いをしたのに軌道にのらない。お金もなかった。どこにも行く場所がなかった。

何回か実家に帰ろうと飛び出したことがあるのに帰れなかった。ヤツの脅しと、魂の親子だと言われたことを信じてしまいヤツを親以上だと思い込むようになっていた。

ヤツにハグされたり一緒の布団で寝たこともある。
養女にしたい、とまで言われていた。

中途半端な愛情(ホンモノかニセモノかはわからない)のせいで恨みきれなかった。

愛情を注いでると言いながら、毒親と全く同じ。

結局支配し、支配される関係になっていた。

愛憎がどれほどに苦しいものか。
どれほどに傷つけられるものか。

怒りがどんどんと湧き上がり、ぶつける場所もなく、毎日通勤の車の中で、声が枯れるまで泣き叫び続けた。その前に勤務していたところでセクハラで辞めるしかなくなったこともあり、絶望的になっていた。

最期まで懸命に看取ったヤツは多額の借金と中途半端な仕事を残しただけだった。
愛情なんかなかった。


もう支配される人生は終わりだ。
何もかもを失ったのだ。これ以上失うものはない。

生きてる限りやり直しはできる。

何度でもやり直せばいい。
ただ、もう二度と人に騙されないことを誓う。

人に支配されない、自分の人生を生きていく。